明治時代の洋風校舎を訪ねて

宮城県の登米市登米町に、明治時代の中ごろ2124_2 建てられた洋風建築の

小学校校舎があり、国指定の重要文化財になっています、

これまでも何回か見学していますが、6月半ば、何年ぶりかで、

また見学してきました。

2072_2 2074_2 おしゃれな洋風建築というだけでなく、

当時の教室風景、教科書や教2075_2 材、

子供たちの作品など、

今となっては貴重な資料の

数々が展示されています。

私の祖母も、明治の終り頃、尋常小学校に入ったと思います。2078_2

展示されている授業風景や教科書などを見て、 2092 私が生まれる前に

他界した祖母も、このようにして勉強して

いたのだろうと、訪ねるたび、思いを巡らせて

2096います。

(100年ぐらい前の祖母の女学校時代の教科書、

手芸の数々はまだ我が家に遺っています。)

この資料館には、天皇陛下、2098皇后陛下もおいでになられたそうで、

そのとき使われた茶飲み茶碗、スリッパもガラス戸棚に入れて

展示されていました。

また、近くにある明治中期に建てられたという洋風の警察署

見学して来ました。

この警察署は昭和43年まで登米警察署として、使われていたそうです。

留置場も見学してきましたが、一つの狭い部屋で食事も排泄も2116一緒と

いうことから、留置場に入ることを「くさい飯を食う」というように

なったとのこと、見て納得しました。

みやぎの明治村と言われている登米には、この他にも登米懐古館、

水沢県庁記念館、伝統芸能伝承館「森舞台」があります。

次回はこれらの場所も訪ねてみたいと思っています。

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大正時代の教科書

283_1 これは、明治生まれの祖母の教科書です。

糸て綴じた教科書は、教科書名が書かれた紙を

貼った表紙がつけられ、教科書の中は西行や芭蕉、

         ホフマン、孔子など10カ所ほどに261_5 その人物像が

載っているだけで、あとはびっしりと文字が

書かれています。

301_3 約100年前に教科書に載っていた、芭蕉の

奥の細道の文章(写真左、人物は芭蕉)やことわざなどの

文章は、今の中学生の教科書にも載っており、時代は

変わっても 同じことを学んでいると303 いうことがよくわかります

ここで、ことわざの文章の一部を紹介してみます。

「俚諺の一特徴は世界に通用すといふことにして、

          おのづから其の言ひ傳へ易きを貴ぶが故に

          その言句多くは短し。

          我が国の諺にては、「親馬鹿」といふ如きは、其の最も

          短きなるものの一なるぺし。蓋し余りに長くては、言ひ傳へ

          きをもって、俚諺たるに適さず。この故に、諺の上乗

          なるものは 貨幣と同じく運ぶに易くして、價の貴きもの

          なるべし。」

思わず、なるほどと納得してしまいました。このほかにもっと読んでみたい

文章はたくさんあります。

これからもブログで紹介していきたいと思います。

   ※ 教科書についていた付箋は、当時のものです。

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昭和初期のテスト問題 6

今日は読方綴方の問題を紹介いたします。

     ・漢字に読み仮名をつけよ。

       健康  郷里  信頼  修養  眞心

       御遺物  拝観  停留所  彼処

       興奮  御苑   名声  演奏会

       紺青の空  戦跡  彫刻

       芸術の都  完成  知識  連峰

       暗黒  砲煙  夢中

  ・仮名の部分を漢字に直せ。

       【さいばんしょ】は【こっか】が【もう】ける【きかん】

       【よほど】【じゅくれん】を要する。

       【がんらい】ゴム液は幹の皮部と【もくしつぶ】との

       間にある乳管組織というところから出る。

     ・文章の意味を書け。

              問題文が書かれてなかったので、わかりませんが、

      この問題が一番多かったです。

            ・

            ・

   【 綴方 】

         題名    我が希望

                雪の晩

現代の【 国語 】は【 読方 】と 【 綴方 】 だったんでしょうか。

残っているのはこの二つだけでした。

※   今まであげた教科のほかに【 算術 】がありました。

     分数の計算、比例の計算、お金の計算などの問題が

     ありました。

   

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昭和初期のテスト問題 5

今日は修身の問題を紹介致します。

     ・祖先と家に対しての我の覚悟を書け

  ・国交は何故に必要であるかを書け。

  ・忠孝に対しての考えを書け。

  ・良心につきて書け。

  ・憲法につきて書け。

  ・兵役の務めにつきて書け。

  ・納税の務めにつきて書け。

  ・下のことばにつきて説明せよ。

        ①清廉

        ②天ハ自ラ助クル者ヲ助ク 

  ・教育の効果につきて説明せよ。

  ・師弟関係につきて説明せよ。

 ・男子の務めと女子の務めにつきて説明せよ。

 ・義務教育を終わっての我の覚悟を書け。

        ・

        ・

当時は、現代の道徳の問題も出され、当時の子供達は

自分の考えをきちんと書けたんですね。

        

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昭和初期のテスト問題 4

今日は國史のテスト問題を紹介いたします。

  ・ 條約改正につきて説明せよ。

  ・ 北清事変につきて説明せよ。

  ・ 西南の役につきて説明せよ。

  ・ 秀吉の朝鮮征伐ににつきて説明せよ。  

  ・ 関ヶ原の戦いにつきて説明せよ。

  ・ 鎖国の原因とその結果につきて説明せよ。

           ・

           ・

人名を出題してその人に関する説明をさせる問題も

多く見られました。

今は【歴史」となっている教科が当時は【 國史 】となって

いたんでしょうね。

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昭和初期のテスト問題 3

今日は地理のテスト問題を紹介いたします。

  ・北海道地方の地勢につきて書け。

  ・樺太地方の産業につきて書け。

  ・台湾地方の地勢が産業と交通上にどのやうに関係してゐるか。

  ・朝鮮地方は地勢上からどのやうにわけられてゐるか。

  ・南米と我が国との関係につきて説明せよ。

  ・南洋諸島につきて説明せよ。

  ・ヨーロッパが発達してゐる理由

       ① 区分上から

       ② 地勢から

       ③ 気候上から

       ④産業上から

           ・

           ・

その他、いろんな国の首都について説明させる問題も多く見られました。

当時の日本は、領土がかなり広かったということが問題からわかりました。   

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昭和初期のテスト問題 2

今日は理科の問題を紹介いたします。

  ・ 酸の種類とその性質につきて書け。

  ・ 中和につきて説明せよ。

     ・ 種の発芽につきて必要とすることを書け。

  ・ いかとたこの違いにつきて書け。

  ・ 流水の三作用につきて書け。

  ・ 熱の移り方につきて書け。

  ・ 光の反射につきて書け。

  ・ 音につきて書け。

  ・ じしゃくの性質につきて書け。

  ・ 電気の性質につきて書け。

         ・

         ・ 

問題も印刷なっているのではなく、先生が黒板に書いたものを

写したのではないかと思われます薄いわら半紙に青インクで

書かれているので、表の問題が裏の問題にもしみていて

見にくい感じです。点数は10点満点のようです。

テストによっては、親の「見ました」というサインも書いてありました。

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昭和初期のテスト問題 1 

私の父は、今、存命であれば90歳です。今年13回忌に

あたりますが、父の死後、父の尋常小学校5年生と6年生

(10~11歳)の時の答案用紙が、机の引き出しから出てきました。

そのテストを目にしたとき、少年時代の父が一生懸命テストに

取り組んでた姿が目に浮かび、息づかいまでも聞こえてくるように

思われました。

茶色に変わったわら半紙、インクがにじんでいますが、当時の

テスト問題は、はっきり見て取れます。修身(道徳)や綴り方(作文)も

ありました。

最近、一枚ずつ台紙に貼り、表紙をつけて冊子にしたところです。

解答は全部記述式で、記号や○×で答えるものはありませんでした。

これらから、当時の子供たちは文章カはかなりあったようで、

考え方もしっかりしていたと思われます

これからいくつかのテスト問題を、ブログで紹介していきたいと

思います。

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