義母の旅立ち

2009_0702_155257dsc05042 紫陽花が雨に映える6月、隣県に住む今年

95歳になる義母が、黄泉の国へと旅立って

いきました。

義弟の「最後まで家で介護をして、看とって

あげたい」という温かい気持ちに包まれて、

日々を過ごした義母。

40年も住んでいた自分の家で、家族に

見守られて、最期を迎えられた義母は、

本当に幸せだったと思います。

義母は50代のとき、嫁いだばかりの娘が出産時に他界しているので、

大変つらく悲しい思いをし、体調を崩した事もありました。

また、7年前は、息子にも先立たれました。

このときは、義母への思いから、知らせなかったので、義母は

息子の死を知らずに旅立って逝きました。

今頃、天国での再会に、きっとびっくりしていることでしょう。

義母は、若いころ大病をしたそうですが、1年ぐらい前まで、

言動もしっかりしていました。

ここ1年ぐらいは、よる年波には勝てず、最後は寝たきり

状態になってしまいましたが、介護する義妹のおかげで、

家で過ごすことができました。

義妹は、本当に大変だったと思います。

介護は、「聞く」と「する」では大違いですから、、、。

自分の時間なんて、ほとんど取れない状態だったと思います。

24時間、献身的に義母に尽くした義妹に、感謝、感謝です。

4月に実母を、6月に義母と1年間に2人の母がこの世を去って

いってしまいました。

桜と紫陽花の季節に、、、、。

さびしさも一入です。

写真の白の紫陽花は、一昨年鉢植えで購入したものです。

地植えにしたら、こんなに大きくなりました。花期が長く、手前に

映っている大きい花は、咲いてから20日ぐらいになります。

かなり長く楽しめそうです。

来年の義母の命日には、私の育てたこの紫陽花を仏前に供えて

やりたいと思っています。

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母の49日

4月15日、黄泉の国へと旅だった母。

早いもので、今日で49日目です。

無人になっている実家への、49日間の実家通いも、

今日で終わりとなりました。

私の住んでいるところから実家までは、片道約23㌔ほど

ありますが、途中の田舎の風景に触れながらのドライブ、

写真の母と、会話できるうれしさで、49日間は、

あっという間に過ぎた感じがします。

「49日かかって、やっとあちらの世界にたどりつく」と

いわれています。

今頃は、14年前、先に逝った父と会って、子供たちのことなどを

いろいろ報告していると思います。

母を引き取って介護をした4年間、その後、施設に入った母の

元へ通った1年半、きょうの忌明けまでの実家通いと、私に

とって、忘れられない月日となりました。

それはまた、「生きることへの大変さ」を痛感させられた月日でも

ありました。

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施設の母に 終  「母の旅だち」

2009_0414_055923cimg2646母が住んでいたここ宮城県の

涌谷町の今年の桜は、雨や風にも耐え、

いつになく花もちがよく、満開の時期が

長かったような気がします。

(写真は涌谷城址の桜です)

今は桜が終わり、母の住んでいた家の庭に、色とりどりの花が2009_0414_055243cimg2638

咲き乱れています。

この春爛漫の4月15日、90歳になる

母は、黄泉の国へと旅立っていきました。

母は、5年前からパーキンソン病を患い、

ここ1年ほど前からは、飲食することも、しゃべることも、

寝返りをすることもできなくなってしまいました。

食事は、胃に穴をあけてチューブで流し込む

「胃ろう」になりました。

母は認知と聴覚だけは衰えなかったので、

私たちの問いかけには、わずかな首振りとまぶたの

開閉で応えてくれました。

何の変化もなく、同じ姿勢で、じっと白い天井を見て

いるだけの一日一日は、どんなに長く、辛く感じたことか

察してあまりあります。

それを見ている私たちも、本当に辛く、切なかったです。

14日、意識不明になってはいましたが、せめて庭の

満開の桜の香りを届けようと母のもとへ向かいました。

でも、それは叶えられませんでした。

今頃はお棺に入れた桜と桜の写真、庭の花々で、天国の

父と二人、花見をしていることと思います。

4月15日の早朝、西行法師の桜の和歌についてブログに

書きましたが、奇しくもそれから数時間たって、満開に咲く

桜のもとに亡くなり、花好きだった母らしい逝き方だったと

思います。

週に、1、2回行っていた私の施設通いもついに終わりに

なってしまい、「施設の母に」のタイトルで書いていたブログも

終了となりました。さびしい限りです。

西行の歌

       願わくは、桜の下にて春死なん 

                 その如月の望月のころ

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施設の母に ⑪ つるし雛を届ける

2009_0403_040531cimg2606 2009_0403_094037dsc04707 昨日、施設の寝たきりの母のもとに、

私の作ったつるし雛を持っていき、

飾ってあげました。

つるし雛をもっていくとき、そのまま

たたんでいくと、ひもどうしが絡まって

しまうので、障子紙を半分に折って

作った袋に、ひもを一本ずついれていきました。

これを折りたたんでもっていったので、

スムーズにつるし雛を出して飾ることが、

できました。これは、我ながら、good ideaでした。

今90歳になる母は、80歳過ぎまで手芸をしていたので、興味深く

見たのではと思います。ベッドに起こしてあげると、目を大きくあけ、

びっくりしたように、一つ一つ上から下へと目で追って見ていました。

しゃべられない母の、精一杯の気持ちを表わしているように

思いました。

つるし雛を飾って華やいだ感じになった部屋を見て、私まで

嬉しくなってしまいました。

母が施設に入るまで生活していた宮城県涌谷町では、

これから一か月ほど、「つるし雛祭り」が行われます。

このつるし雛を何回も見ている母は、きっと懐かしく

思い出していることと思います。

このまま、しばらく飾っててあげたいと思います。

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介護百人一首

私は、教育テレビで、介護に関する短歌を聞くのを

とても楽しみにしています。

主人に続いて母も介護をした私は、それらの短歌を聞くと、

介護をする人の気持ちが痛いほど伝わって

きて、じぃ~んとしてしまいます。

このほど、注文していたそれらの歌をまとめた、

介護百人一首・2009」の冊子が、NHKから届きました。

2009_0315_163738dsc04621 何度も何度も読み返しているところです。

この「介護百人一首2009」には7495首もの

短歌が寄せられたとのことです。

その中から選出された100首が、この冊子に

載っています。

31文字の中に、作者の介護に対する気持ちが、

ぎっしり詰まっていて、みんな素晴らしい歌ばかりです。

私も、できたらいつか応募してみたいと思っています。

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施設の母に  ⑩ 春の花をリースに

今日は立春です。

私は、施設で寝たきりの母に、春到来が近いことを

知らせたくて、春の2009_0201_160337dsc04450を使ってリースを作り

もっていきました。

言葉をを発せられない母ですが、梅、菜の花、

水仙など、春の花々を見て、きっと春を感じ取って

くれた思います。

リースに使ったつるは、奥松島の「縄文村歴史

資料館」で、「つる編み講習会」があったとき、

たくさんいただいてきたものです。

2009_0124_103934dsc04430分で、かご編みをもう一度やってみようと思っていましたが、

つるを使ってのリース作りに

つい夢中になってしまいました。

リースにつかった花は、

前にも紹介しましたが、100円ショップで買いました。

手軽に季節を表すことができるので、このリース作り、

すっかりはまっています。

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施設の母に ⑨ 実りの秋   

2008_1009_034921cimg2086_2  施設にいる母は、寝たきりなので、

ほとんど季節の移ろいを感じることなく、

日々を過ごしています。

そんな母に少しでも季節を感じて

もらえたらと、施設の部屋の壁に季節の

displayをしています。

今回は、稲作をしている友達から

稲穂をいただき、施設の部屋に飾って

あげました。

母は稲穂を手にとって、重さを確かめ、

何度も何度もなでていました。

私の家でとったほおづきも飾りました。

そのほか、100円ショップで買った栗のイガ、ブドウ、案山子も飾り

秋の実り表現しました。

母は、きっと秋の気配を察してくれたと思います。

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施設の母に ⑧ 意思を伝える器具

私の母は、まもなく90歳、今、施設でお世話になっています。

パーキンソン病で、昨年あたりから全くしゃべることが出来なくなりました。

厚紙に書いた50音表の指差しや筆談でなんとなく言おうとしたことは

伝わってきましたが、最近は手にも力が入らなくなり、これらも無理に

なりました。

何かを言っているようにも思いますが、最近は声さえでて来なくなってきました。

パソコンのキーボードで指タッチさせようとしましたが、初めて触るパソコンに、

すっかり緊張してしまい、固まってしまってだめでした。

電気屋さんで聞いたり、介護保険のカタログで調べたりしましたが、

母のように高齢者が使う器具を探すことはできませんでした。

そこで、単語が表示されただけでも言いたいことは分かると思い、先日、

通販で広辞苑の電子辞書を購入してみました。

2008_0928_111310dsc03991 字の配列がパソコンと違って

50音に並べてあり、ひらがな

だけの印字なので、字が

さがしやすく、

コンパクトなので

(縦11.5㌢、縦7.5㌢)、

構えることなく打つことが

できるのではと思ったからです。

でも、ボタンが小さいので、指がなかなか思った所に触れられず、無理でした。

これは、母には無理でしたが、ボタンをタッチすることができれば、話すことが

できなくなった人とも、意思を通わせることができると思います。

電子辞書の新しい使い方かも?

母のような人のために、B5判ぐらいの大きさで、意思だけを伝えられる

器具(単語や1文程度打てる)キーのボタンが大きいものがあればと

思います。

複雑な機能のついた器具が作られている現代ですから、これはそう難しい

ことではないと思いますが、、。

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介護食 ⑤ ほや豆腐

2008_0731_190407dsc03737 海のパイナップルといわれる

ホヤの季節もそろそろ終わり

になってきました。

私は、石巻の知産地消の会

(5/7のブログ)で料理屋さん

から教えていただいたほや豆腐を、

1926

先日作ってみました。

材料  ホヤ、卵、豆乳です

作り方

豆乳の代わりに生クリームを入れると、なお美味しくなります。

ホヤはフードプロセッサーにかけ、卵と豆乳を入れて、茶碗蒸しのように

蒸します。

分量までは教えられなかったので、初めて作った時は、ホヤを入れすぎて、

あまりにもホヤの香りが強くなり、ホヤを食べているのかと思うくらいでした。

試食させていただいたのは、ほのかにホヤの香りがし、とっても

美味しかったので、ホヤの量を減らして、再度チャレンジし、完成させました。

豆乳200cc、卵2個に対してホヤ1~0.5個ぐらいで十分です。

わさび醤油でいただきます。

ホヤの身は、フードプロセッサーでどろどろにしますが、加熱するとそれが

橙色の細かい粒になって表れ、とてもきれいです。

このホヤ豆腐、介護食には、もってこいです。

母はホヤが大好きだったので、今、食べ物を口にできのるなら、食べさせて

やりたかったです。

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施設の母に ⑥ 尋常小学校の教科書 

1756 しばらく前、岩手県の「遠野」に旅したとき、大正7年から

昭和8年まで使用していた尋常小学校の教科書

購入してきました。

大正7年生まれの母が、使っていたころの教科書です。

先日、本棚にあったのを思い出し、施設にいる母のもとに持って

行きました。

2008_0824_125555dsc03901 絵だけのページが本の半分くらいあり、残りの

半分は絵とカタカナだけで 書いてあります。

ページを繰ってやると、目でじっと絵や文章をみて、

とても懐かしそうにして見ていました。

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毎日、寝返りさえも

自分ではできず、

施設の天井だけを見て

過ごしている母ですが、これをみた瞬間、母の目に生気が感じられました。

色々な方法で母に刺激を与え、認知症にならないようにと思っています。

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