春爛漫の鶴岡、酒田へ

4月19日、私の住んでいる太平洋側にある宮城県
 
東松島市から日本海側に横断、バスで片道
Cimg8500
約3時間乗って、鶴岡、酒田に行ってきました。
 
同じ東北地方でも本当に
 
遠いと感じました。

とうに桜の花は終わっていた私の地。ちょうど
 
桜の花が満開の時期で、2回目のお花見をすることができました。
 
Cimg8502鶴岡公園や酒田の日和山の桜はとても
 
素晴らしかったです。
 
遠くに見える鳥海山の風景もすてきでした。
 
日本海側でお花見ができたのは今回が初めての
 
体験でした。
 

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風車のある風景

  下の写真は、宮城県登米市の≪長沼≫Cimg7354いうところの風景です。

白鳥で有名な≪伊豆沼≫の近くにあります。

ここには、大きな風車があり、沼には

はすの花もたくさん咲いていました。

一度行ってみたいと思っていましたが、

この夏行くことができました。

Cimg7345_3さ21mのオランダ風車がシンボルの公園。

風車は中を見学することもできるそうです。

園内には111mの長さのローラーすべり台などの

遊具もあり、春にはチューリップや桜といった

花々が咲き乱れ、とてもきれいだそうです。

こんどは、ぜひ春の風景も観てみたいと思います。

Cimg7360

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「みやぎ歩け歩け大会」 2  ≪桧原湖について≫

昨日紹介した五色沼のウォーキングのゴールは、磐梯山の噴火でできた

桧原湖でしたが、係りの方の説明を聞いて、私が思っているより、

Cimg7527 かなり大きな湖だったことを知りました。

     長さ・・・・10km

     湖岸の周囲・・・・37km

     日本一の火山性せき止め湖

噴火の際には、湖底の位置にあった桧原村が水没、

多くの人々が犠牲になったことを思うと、胸が痛みました。

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宮城県多賀城市「あやめ園」へ

松尾芭蕉が『奥の細道』紀行で訪れたといわれるCimg7347_2 多賀城市の

「あやめ園」に行ってきました。

あやめ園は、国の特別史跡「多賀城跡」の

一角にあり、500種300万本のあやめ、

花菖蒲が植えられているそうです。

Photo 見渡す限り、グラデーションに植えられている

紫色のあやめ園、時を忘れて魅入ってしまいました。

松尾芭蕉もこのあやめが咲いていた6月下旬ごろ

訪れたといわれています。

芭蕉が立ったこの場所、一度は行ってみたいと思っていたので、

今回この地を訪れることができ、よかったです。、

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宮城県南三陸町を訪ねる

東日本大震災て、大変な被害に遭った「三陸町」を先日訪ねました。

まだまだ復興途半ばといった感じですが、仮説商店街の方々の笑顔や

元気な挨拶に触れ、確実に前を向いて歩みつつあることを

実感して帰ってきました。

かつて、息子夫婦がお世話になったこの町に、私の協力できることは、

仮説商店街にいって買い物をしたり、飲食したりするこだと思っています。

これからも時々訪れたいと思います。

Cimg7325 仮説商店街の一角に、チリのイースター島から

送られたという「新しいモアイ像」が、南三陸町に

エールをおくるかのようにドォ~ンと建っていたのが

印象的でした。

このモアイ像、南三陸町には、イースター島から世界で初めて贈呈された

本物のモアイ像を始め、全7か所にモアイスポットがあるそうです。

「モアイ」とは、「未来に生きる」という意味だそうですが、

私は、はじめてみた「モアイ像」の迫力が、今も脳裏に焼きついています。

写真は、雨が降っていたので、はっきり撮れませんでした。

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佐渡が島」紀行   12 「自分土産の食品」

2013_0619_102720cimg6610佐渡ならではの食品。

かさばって重くなるのを覚悟して買ってきました。

『佐渡のお酒でできた飴』、『あごだしの

つゆの素』、『佐渡産の米粉と小麦粉』

『冷凍のあごすり身』、『いか削りぶし』です。

「あご」の上品な香りの「つゆの素」と、酒の香りが口の中に

Cimg6677 いっぱい広がる「飴」は食しましたが、

ほかの食品はまだ冷蔵庫の中です。

旅行から帰ってきて味わう食品は、

また格別ですね。

これからゆっくり味わいたいと思います。

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佐渡が島紀行 11 「 佐渡金山」見学

2013_0617_093337cimg6561 2013_0617_094510cimg6577 江幕府の財政を支えて

いたという世界屈指の

佐渡金山。

その金山の坑道の跡地を:

見学しました。

かなり長い階段を地下へ、、

ほぼ等身大の動く人形が作業している様子を

再現している、江戸時代の坑道、

「宗太夫コース280mを見学しました。

2013_0617_093408cimg65622013_0617_094037cimg6569ほかに明治時代に

作られた坑道、

「道遊坑コース320m」

あるそうです。

  この坑道は,工作機械を 使って平成元年まで

掘られていた明治、昭和の鉱山を紹介しているのだそうです。

  • 2013_0617_094205cimg6571
  • 江戸時代、鉱石を掘る作業は、

    今回、大半無宿人だった」2013_0617_094731cimg6580と分かりました。

    江戸時代、鉱石から金を採る作業は、

    大変なことだったと思いますが、

    「いろ2013_0617_095009cimg6584いろな道具を工夫して作りだして作業をして

    いるんだなあ」と展示品を見てあらためて

    感心しました。

    下の金の延べ棒は、12.5㌔あるそうですが、

    これは、腕だけが入るケースから、取りだした人に記念品が出ると

    いうも2013_0617_095613cimg6593のです。

    挑戦しましたが、私の腕力ではピクリとも

    動きませんでした。゛

    10㌔以上の米袋を指だけで持ち上げることと

    同じですものね。考えただけで、

    無理ですが、取りだした人もいるとのことでした。

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    「佐渡が島」紀行  10  「佐渡奉行所跡」見学

    2013_0617_092241cimg6560 1601年の「佐渡金山の開山」に伴い、佐渡は、

    幕府の直轄地となって「相川」に「奉行所」が

    置かれたそうです。その後、何度か焼失した

    そうですが、平成13年から江戸時代と

    同じ材料を使って復元工事が行われたとのことです。

    「奉行所」とは、「市役所と裁判所をあわせもったところ」

    いうそうですが、佐渡奉行所が他の奉行所と違うところは、

    「小判を作る工場をあわせもっていたこと」だそうです。

    この地に奉行所が建てられたのは、

    ① この上の金山でたくさんの金が採れたこと。

    ② 海が近く、物資の出し入れが便利だったこと。

    ③ 周りが崖に囲まれて、敵に攻められにくかったこと。

    からだそうです。

    102人の奉行がかわるがわる任命されて佐渡に

    渡ったそうですが、待遇は全国の奉行所でもトップクラスで、

    偉くなって本州に戻る出世コースだったそうです。2013_0617_084557cimg6544

    時代劇でおなじみのお白州」も建物の中に

    ありました。

    英語で「むしろ」というのはそのまま使うのかなと

    思いましたら、≪straw mat》となっていました。

    2013_0617_091111cimg6555 2013_0617_091522cimg6558 建物の中には、

    金採掘に関する道具や

    金の精錬が体験できる

    「勝場(せりば)というところも

    ありました。

    写真の字が書いてある袋に鉱石を入れて運んできたのだ

    そうです。

    時代劇ではよく見る「奉行所」ですが、実際に見学して

    いろいろなことが分かり、勉強になりました。

    2013_0617_090524cimg6550 2013_0617_090848cimg6552

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    「富士山」への想い!

    世界遺産に認定された「富士山」。

    今日、世界遺産に認定されて「初の山開き」とのことで

    大勢の人が今朝のご来光を拝んだそうで、うらやましい限りです。

    一度は登ってみたいと思っていましたが、今は、登る体力も気力も

    ないので、バスで行ける5号目の富士スバルライン」の

    登山入口(2305m)に行って「せめて富士山の土を踏みしめたい」

    思っているところです。

    これは、私の長年の夢ですが、来年菩提寺の研修旅行で

    計画しているので、来年実現するかも知れません。

    もうひとつは、三保ノ松原から富士山を眺めたい」ことです。

    1_002 富士山大好きな私は、今は、沖縄旅行の時、飛行機から

    撮った写真を、大きく引き伸ばして毎日眺め、世界遺産になった

    富士山を登る人達に、東松島の地からエールを送っています。

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    佐渡島紀行  8 「無名異焼き」

    2013_0618_075521cimg6609_2 佐渡の焼きもの「無名異焼きーむみょういやき」

     窯元を見学しました。

    「無名異焼き」 とはーパンフレットの解説からー

    元来金山の象徴とみなされる金光色の酸化鉄が

    風水に変化して、酸化鉄を残した赤色の土石類である。

    その主成分の酸化鉄は昔から内服すれば、淤血を流し、食毒を消し、

    外用すれば、出血を止めるといわれている。

    この赤い土を用いて焼いたのが、「無名異焼き」である。

    私は、「万古焼き」に似たこの焼きもの、聞くのも見るのも

    初めだったので、とても興味深く見学しました。

    「佐渡金山の土」を使っているんですものね。

    使い続けていると、ツヤも出てくるそうです。

    私は自然と鉄分が摂れるこの「無名異焼き」 の「湯のみ茶碗」

    貧血気味の娘に 買ってきました。

    ツヤが出るまで、使い続けてほしいのですが、、、。

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