寛永通宝
出てきました。よく見ると黒くなった表面に寛永通宝の
文字がはっきり見えました。
江戸時代の貨幣ということは知っていましたが、それ以上は詳しく
分からなかったので、早速インターネットで調べて見ました。
コインの散歩道より
寛永通宝は1636年~1860年まで鋳造され、明治初年まで通用した。
明和5年(1768)、裏に波があるやや大型の4文銭の鋳造が
始まりました。 鉄銭の不人気を打開する意味もあったようです。
これが意外に好評で、 物の値段に16文、24文など
4の倍数が多くなりました。 1串に5つの団子を
5文で売られていたのが、1串4つで4文になったそうです。
寛永通宝は、現在でも100億枚近く残っていそうです。
評価もピンからキリまであります。 多いのは100枚で1000円。
少ないのは、現存2~3枚。市場に出ないので値段がつけられませんが、
もし市場に出たとすると200万円以上でしょう。
結局、約230年間に寛永通宝は、300~400億枚鋳造されました。
これは現在の10円銅貨(1951以来52年間で297億枚)の
鋳造枚数を超えています。
明治4年12月に、新しい円・銭・厘との交換比率を
次のとおり定めました。
額面ではなく、実状に合わせた時価によっています。
銅1文=1厘、 鉄1文=16枚で1厘、 銅4文=2厘、
鉄4文=8枚で1厘
明治30年9月末、鉄銭の通用が廃止されました。
寛永通宝(銅銭)が正式に通貨でなくなったのは、何と昭和28年
12月末、円未満の通貨が全て廃止されたときです。
21波形の一枚と、そのあと出来た11波形の
二枚、全部で12文ということが分かりました。
直径は2、7㍉で、現在の500円玉ぐらいの大きさです。
今も100億枚ほど残っているとのこと、持っていることは
それほど珍しい事ではないと思いますが、何より150年以上の
人々が使用していた貨幣が、今、私の手のひらの中にある
というそれだけで、もう感激です。
大事にしまっておきます。我が家の家宝として、、、。
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