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寛永通宝

1765 先日、引き出しを整理していたら、コインが3枚

出てきました。よく見ると黒くなった表面に寛永通宝

文字がはっきり見えました。

江戸時代の貨幣ということは知っていましたが、それ以上は詳しく

分からなかったので、早速インターネットで調べて見ました。

コインの散歩道より

寛永通宝は1636年~1860年まで鋳造され、明治初年まで通用した。

明和5年(1768)、裏に波があるやや大型の4文銭の鋳造が

始まりました。 鉄銭の不人気を打開する意味もあったようです。

これが意外に好評で、 物の値段に16文、24文など

4の倍数が多くなりました。 1串に5つの団子を

5文で売られていたのが、1串4つで4文になったそうです。 

寛永通宝は、現在でも100億枚近く残っていそうです。

評価もピンからキリまであります。  多いのは100枚で1000円。

少ないのは、現存2~3枚。市場に出ないので値段がつけられませんが、

もし市場に出たとすると200万円以上でしょう。

結局、約230年間に寛永通宝は、300~400億枚鋳造されました。

これは現在の10円銅貨(1951以来52年間で297億枚)の

鋳造枚数を超えています。

明治4年12月に、新しい円・銭・厘との交換比率を

次のとおり定めました。 

額面ではなく、実状に合わせた時価によっています。


    銅1文=1厘、 鉄1文=16枚で1厘、 銅4文=2厘、 

    鉄4文=8枚で1厘


明治30年9月末、鉄銭の通用が廃止されました。


寛永通宝(銅銭)が正式に通貨でなくなったのは、何と昭和28年

12月末、円未満の通貨が全て廃止されたときです。

1768私のうちにあったのは四文銭で、始めに出来た

21波形の一枚と、そのあと出来た11波形の

二枚、全部で12文ということが分かりました。

直径は2、7㍉で、現在の500円玉ぐらいの大きさです。

今も100億枚ほど残っているとのこと、持っていることは

それほど珍しい事ではないと思いますが、何より150年以上の

人々が使用していた貨幣が、今、私の手のひらの中にある

というそれだけで、もう感激です。

大事にしまっておきます。我が家の家宝として、、、。

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